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たまに悪態をつきたくなる [独り言]

日々思う、オーディオに対する疑問を
たまにはうだうだと書きなぐってもよいのではないか、と記事にしてみる。

これを読んで、何事か考えてくださる方がいたら嬉しいな。












栄えある最初のキーワードは「原音忠実」

原音に忠実という意味なのでしょうけど、では原音とは?
生の音?ならばCDにあるわけありません。
どれだけ生の音に近い音を出せるか、という主義?
生の音ではない時点で、確たる基準がないではないか。
録音し、再生する、という過程を踏まえている時点で原音はなくなっているものであり
原音忠実性を重視しすぎることはおかしい。


このような言い草をする方は、結構おられますよね。
大筋は同意するのですが、一つ疑問が生じます。



次に出てくるキーワード「高音質」というものです。

好い音ってなんだろう?
この時、原音忠実派は楽でいいです。ずばり、原音となりますので。
それでは原音忠実性に対して、否定的な立場の方はどうなるのでしょう?
個人の好きな音が高音質なのでしょうか。
しかし、好みの音じゃなけど良い機種です、などという言い方はよく使われます。
では、この時の“良い”という感覚はどこから来るのでしょう?
それはおそらく、“性能”という観点でしょう。“性能”についてはいつか述べたいですが
性能と好み、この二つからおそらく高音質が生まれるのでしょう。



それでは「好み」とは。

単純に個人の好む音の傾向、で問題ないでしょう。
低域がこんな感じで、高域はこうで、ボーカルはそんな風に聞こえて・・・・・・・・・
言葉にしきれるもの、しきれないもの、どちらも含めて好みです。
自分でただ音楽を聴くだけなら、好みに合う高音質を求めればいいのです。



しかし、レビューや感想を書くときはどうでしょう。
自分はこうこうこう言った好みがあり~・・・・・・なんていちいち書く人はいないでしょう。
例え大まかな好みや注意事項を書こうとも、消せないものがあります。





それが「主観」というものです。

レビューや感想を読むときに、たびたび目にするものとして
できるだけ客観的に述べようと思います、というものがあります。
一言で言うならば、驕っているのではないでしょうか?
聴覚という極めて個人的な感覚を、基準のない高音質を導に
いかに客観性を求めようとも、求められるものではありません。
これはおそらく音響機器の感想だけでなく、世の中の色々な部分でも当てはまるものでしょう。
ならばどうするのか?
それはどこまでも批判的で妥協のない主観を打ち出せば良いのです。
自己に批判的であるためにはまず、自己の特性を深く知り
その上で数多くの経験をもとに、推敲を重ねた主観的感想を述べればよいのです。
そういった文章とは個々人の好みに左右されず、多くの人の共感を呼ぶものとなるでしょう。



また、客観的であることを求めようとする人がいる一方で
主観的であることになんらためらいのない人もいます。
このこと自体は問題ではないのですが、そのような人の多くが



自らを「糞耳」といった後に、感想を書いていることがあります。

唾棄すべき考え、と言えるでしょう。
先ほども申しましたように、聴覚は個人的なものです。
よほどの医療でも受けない限り、聴覚は一般的に衰えるとされています。
ならば劣弱な聴力でも、何を恥じる必要があるのでしょうか。
視力が1.5ないしそれ以下が当然の日本人が
どうして4.0を超えるような人の世界を覗けるものでしょうか、いえ不可能です。
それでも私たちは絵画を語り、自然を愛でます。
感性とは、人間が能力の自ら作り出した尺度とは違うところに存在するものであり
その良しあしを測れるはずがないではありませんか。
糞耳というのは自ら妥協している証拠か、日本人の大好きな謙遜でしかありません。
謙遜するくらいなら公にする必要もないでしょう。
自分の感じたことならば、自信を持って語ろうでないでしょうか。



とはいえ常に全力で感想を書くのも疲れるので
妥協することが悪いわけではありません。



とりあえずここまでで一区切りでしょうか。
レビューを書く上で自分が心がけるべきことを書いたつもりでもあります。

次回がありましたら、機器についてや用語について書いていきたいです。


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Riever

>栄えある最初のキーワードは「原音忠実」
私は"元信号忠実派"なので問題ないですね(爆)
これについては私も色々思ったりしたこともありますし、原音に忠実という文句はおかしいんじゃないのと思うこともしきりです。
録音はマイクというモノ自体が既に癖を持っているものですから、どうしても「そのものの音」を復元するというのは難しいです。
マイクの癖と全く逆のアンプなりスピーカー・・・ないしヘッドホンがあれば近づけることは出来ますが。

>できるだけ客観的に
これは特定の機器に対した(ブランドイメージ、動作原理、開放や密閉など、音と関係無い点のイメージの)バイアスを極力除く、という解釈をしています。
それは最低限除いておかないと・・・私も立場上Sonyマンセーになりますからね(爆)

・・・何にせよなかなか深いテーマで、ずかずか踏み込んでいくのは難しいところではありますよね(笑)
by Riever (2009-07-16 23:48) 

しげ

私は思いっきり好み派ですね~
欲しい音がどうしても欲しいんだ~、そして迷走。

客観性はどうしても難しいですけど、やっぱり何かと比較するっていうのが一番簡単で効果的かもしれないですね。
後は各々が主観の入った情報でも、出来るだけたくさん見て、読み手自身が客観的な情報として再構築しているって事が大体行われていると思うので、主観でも自信をもって正直に書くほうがいいですよね。
by しげ (2009-07-17 00:48) 

たつを

おー、結構キツク書いてますねぇw

自分はこのところレビューを書いていませんが、こう言う問題がネックになってる気がします。
セラミックさんに共感できるところもあるし、そうでないところも多々ですけど。

原音忠実。
自分の場合、このキーワードは、メディアに記録されている
『波形や、Dレンジ、定位、F特(録音上の高中低のバランスってこの表現で良いんでしたっけ?)などで表現される「音」』
を、いかに正確に再現するかだと思います。
CDなら、CDをマスタリングしたエンジニアさんが想定した
リスナーにこう聴いてもらいたいという音、
それが自分の中では原音ってことですね。
(ただ、この論が当てはまらない録音があるのも重々承知な上でw)

次に好みと主観。
これは全く、その通りだと思います。

>自己に批判的であるためにはまず…
このくだりが言う主観的意見ってのは、主観を客観できた上での主観的意見って解釈でOKですかね?
自分が最近なかなかレビューが書かないのが、この主観を客観したものを書けるほどの経験も推敲する気力も無いからです。
ただ、これってやっぱり、ちょっとヘッドホン集めただけじゃ(少なくとも自分のように偏った集め方、再生機の普遍性の無さなんかも含めて)どう考えてもできない、もしくは難しすぎると感じてます。
自分が読んでいてその域に達していると感じる人は、
やっぱり様々な機器持ってますし、
ヘッドホン以外の機器のレビューも多彩だったりします。

あと糞耳ってのは自分の場合、前述の経験の有無、オーディオ経験値って認識です。
自分もオーディオは初心者ですけど、はじめた頃よりかは何かと分かることが増えた自信が有りますし、まだまだわからないことが多いです。
そういった意味ではまだまだ糞耳です。

あーなんかテスト前だってのに長々と書いてしまった…
ホント駄文申し訳ないです。
by たつを (2009-07-17 05:35) 

benoit

オーディオ用語は、そもそも使う人によって、意味が微妙に違いますからね。
まあ、そのあたりは、何本かまとまったレビューがあれば、意味をくみ取っていけると思いますが。
僕は、「原音忠実」は「味付けが少なく、フラットな音」と脳内変換して読んでいます。
あと、レビューは思いっきり主観ですww
「~ではあるが」という表現が出た時点で、ほぼ気に入っていません。基本的には「~ではあるが」の前半はなるべく客観的に、後半は主観的に書いてあることが多いですかね。
by benoit (2009-07-17 11:35) 

お米2号

原音再生ですが、自分は写真なんかと同じで記憶色ならぬ記憶音に近ければよいかと思ってます。原音なんて一人一人違うものですし。個人的にはソースに忠実、というのが妥協点かと思います。

「糞耳」はレビューを書く人間がもっと伝えられることがあるのに伝えられない、というもどかしさなどなどを含めて言っているような感が個人的にはあります。自分のレビューはその時の気分であやふやですが。ただ客観性の高いレビューを書いたとしても、見る人の主観を排除できない、と考えると特にこだわる必要はないように感じます。そもそも高い客観性とは何ぞや、ってなりますし。
by お米2号 (2009-07-17 21:59) 

セラミック

Rieverさん、Niceとコメントありがとうございます。

なるほど、“元信号忠実”ですか。ちょっと盲点でした^^;
今後の音楽配信次第で、どんな元信号になるか分からない怖さもありそうですね。
いっそ全部LPかSACDになればいいんでしょうけど(^O^

イメージは逆に浸透しているものであれば、多くの人の持つものとなり
自分も含め大多数の人が現実として、そのように聞こえる可能性もあると思います。

難しいというよりも面倒なんですよね、きっと。
でも、たまにはこういう風に意見を出して批判をされて
ということも、より深くハマるためには必要な気もします。
by セラミック (2009-07-18 12:14) 

セラミック

しげさん、コメントありがとうございます。

自分も断然好み派です。
でもそうなると求める音の方向性ってホント難しいですよね。
全体的に良くても、どこかひっかかるものがあるとダメになる・・・・・・

多くの意見が出ることと、自らにウソをつかないことが大切ですよね~
たくさんの意見があれば、いつしかだんだんと集約されて
読む人がしっかりとしたイメージを持てそうですし。
by セラミック (2009-07-18 12:21) 

セラミック

たつをさん、コメントありがとうございます。

少々わざとらしく過激な言葉使ってみました(^^;

アーティストさんやエンジニアさんが意図した音楽を受け取る
という立場って感じなのですかね。
他にもそういう立場の人が多数いらっしゃるのは分かるのですが
たぶん自分とは違う感じですよね~
なんとなく、演奏経験があるかないか、が関わってるような気もします。

う~ん、個人的には客観性というものは絶対に手に入らないもの
というように考えているので、主観を客観視することも不可能と思います。

たしかに素晴らしいレビューを書く方々は、経験豊富ですし
表現力や用語の使用にもブレのない軸を持っていると思います。

これは自分自身の好悪をかなり反映していて恐縮なのですが
糞耳って言葉がある半面、~の違いが分かるなんて良い耳してますね
的な表現が使われていると思います。
これらの糞耳や良い耳と言ったものは“耳”ではなく
経験の問題であり、耳の性能ではないと思うのですよ。
それなのに、そういった表現を用いられると
生まれ持った才能か、それとも音楽的教養の有無のような
これからでは、どうすることもできないようなもののように感じられてしまうのです。

まぁ、上記したように音楽的教養が皆無の自分でも
レビューを書いたり感想を言ったりしてもいいじゃないか
というような、ある意味引け目からきている考えです。
いやはや、器の小ささをいい感じに露呈してしまいましたね(-_-;)

つまり、糞耳言うくらいなら未熟者とか初心者とかでいいじゃん、ってことです。

そういえば自分も昨日テストでした(爆
by セラミック (2009-07-18 12:45) 

セラミック

benoitさん、コメントありがとうございます。

オーディオ用語ってホント難しいですよね~
某掲示板なんかで気合の入った感想があっても賛否両論なのは
感性だけでなく、やっぱり用語のとらえ方とかその辺りも関係してそうですよね。

>「原音忠実」は「味付けが少なく、フラットな音」
これは・・・・・・・・・絶妙なとらえ方ですねw
ツッコミ所があるようでどこをツッコんでいいのか分からないです。
by セラミック (2009-07-18 12:54) 

セラミック

お米2号さん、Niceとコメントありがとうございます。

>ソースに忠実
なんかこっち派の方が多いようですね、それだけで勉強になりました。

>高い客観性
より多くの人の共感が得られるような意見、ということなのですかね?
個人的な経験や考えですが、自分が自信を持って良いものを作れば
多くの人はそれを良いものと感じるように思います。
そう感じてもらえないのは、自分の根本がずれてるか未熟なだけでしょう。
人間好みはあっても、同じような文化・教育を受けて生きている以上
どこかしら似ている部分は持っているもので
優れた主観こそが客観になりうる唯一のものだとも思います。
なんか独裁者の言葉みたいですね^^;
by セラミック (2009-07-18 13:06) 

すかい

こんばんはーはじめまして。ちょくちょく見させていただいていたんですが、なかなかコメントする踏ん切りがつかないままズルズルと...

僕も基本的に自分の好みの音を追求するほうです。というのも僕は自分で楽器をやっていたりするわけでもないので「原音」に触れる機会がほとんどないんですよ。時間の都合で演奏会なんかもなかなかいけるものではないですし..

ただ、違う視点から見てみれば自分の好みの音を追求していくにはいいのかなーなんて思うこともあったりします。そんなこといいつつも生の音を聞いてみたいという欲求は捨てきれないんですけどw

ところでこの高音質というところなのですが、自分はいままで「高音質=自分の好みの音」と解釈していました。そこからさらに好みとはなにか、を深く掘り下げることをしていなかったので、何かハッとさせられるところがありました。

僕も時間を見つけては持っている機器のレビューを書いたりするのですが、そもそもなんでレビューなんて書くのかを考えてみると、そのもののすばらしさを伝えたいというところに尽きるのだと思います。

>自分の感じたことならば、自信を持って語ろうでないでしょうか。
そうですよね。いまさらながらそう思います...
謙遜なんかしてる場合ではないですよね。今回はいろいろと参考になりました!ありがとうございます><
by すかい (2009-07-20 00:32) 

セラミック

すかいさん、こちらでは初めまして。コメントありがとうございます。

自分も生の音なんて部室のそばにあるジャズ研の演奏くらいしか聞いてないですw

>「高音質=自分の好み」
自分もこのように考えてはいたのですが、これだとレビュー書くこと出来ないし
好みじゃなくてもいい音と思えることがあること、自分の好みも変化しうること
色々な要素を考えるとイコールとは言えないかなぁ、と感じました。

>そのもののすばらしさを伝えたいというところに尽きる
本当にその通りだと思います。
好みの違いはあれど、自分を魅了してくれたものならば
他の人にもグッと来るのではないかって思っちゃいますよね(#^.^#)

自分の記事から参考にしていただけるものを見つけ出してくれるなんて
本当にうれしいです。今後もよろしくお願いします。
by セラミック (2009-07-21 12:27) 

えるえむ

はじめまして。
こういう言葉遊びは大好きなので,少しコメントしてみたいと思います。

そもそもの出発点として,私は
(1)聴感に基づく音質評価は徹頭徹尾主観的である
(2)聴感に基づく音質評価は比喩の世界である
という立場です。



>それでは原音忠実性に対して、否定的な立場の方はどうなるのでしょう?
>個人の好きな音が高音質なのでしょうか。

忠実度という尺度であれば,媒体に記録されているものを正しく出力することが正しい再生になると思います。それに近ければ高忠実度再生であり,この場合,正確には高音質というより高品質な再生と言うべきでしょうか。でも,比喩なので,高音質でも良いと思います。



>しかし、好みの音じゃなけど良い機種です、などという言い方はよく使われます。
>では、この時の“良い”という感覚はどこから来るのでしょう?

自分のセンスに任せて選ぶ場合には選ばないけれども,これはこれで説得力のある音楽表現ができていると感じた場合に,「好きではないが良い」という表現になります。
たとえば,クラシックをほとんど聴かない人が,あるクラシックの曲を聴いて,感銘を受けたということと近いかもしれません。
こういった場合の説得力や感銘というのは,得てして何か突き詰めた良さみたいなものがあり,自分の選択のなかからは出てこない新鮮さと驚き,そして感心といったことから得られるものだとおもいます。
オーディオ機器の評価の場合には,これを称して性能や品質といったりもしますが,聴感がベースになっている場合はこのあたりの線引きが曖昧ですね。



>レビューや感想を読むときに、たびたび目にするものとして
>できるだけ客観的に述べようと思います、というものがあります。
>一言で言うならば、驕っているのではないでしょうか?

主観と客観という対義語しかご存じない方もいらっしゃるでしょうから,これをもって驕っているとするのはやや早計かとおもいます。
要するに,聴こえてきた音をそのまま言葉に置き換えてみようと努力すると宣言する意図ではないでしょうか。



>糞耳というのは自ら妥協している証拠か、日本人の大好きな謙遜でしかありません。

糞耳ですので~というのは,私の解釈ですと,妥協でも謙遜でもない場合があるとおもいます。
たとえば,本人は場合によっては別に糞耳ともなんとも思っていないし,むしろ自分は他人より優れた耳・感性を持っていると内心確信しているが,世間一般でいわれていることと感想が異なるので,私は駄目な人ですよと断っておくことで社会的な軋轢を防ぎつつ発言する場所を確保するという意図もあると思います。
もちろん,自分の判断に自信がないので,戯れ言とおもって聞き流してくださいということもあると思います。ただ,ご指摘の通り,結局発信しているわけですから,誰かに知ってほしいという意思はあるわけで,このあたりは結局BLOG炎上や人間関係がこじれることを嫌う結果生み出されたレトリックなのではないかと思います。

まぁ,謙遜という言葉の定義とあてはめの問題でもありますので,形式的にへりくだることをもって謙遜というのであれば,これも謙遜の範囲にはいるかもしれません。



勝手なことを書き連ねて失礼致しました。
単語の一つをピックアップして,そこから発言者の意図を推測するというのはとても難しいことだと思います。結局は,発言の全てを見聞きしてようやくおぼろげにわかる程度で,実際にお会いしたら違う印象を持つこともあるでしょうし,言葉はとても難しいものだと感じます。
でも,おもしろいですね。
by えるえむ (2009-07-29 02:22) 

セラミック

はじめまして、えるえむさん。コメントありがとうございます。
サイトの方を何度も読んで勉強させていただいております。


>聴感に基づく音質評価は比喩の世界である

自分の場合はヘッドホン中心のためか、多少相対評価が入ってます。
スピーカーと違ってセッティングなどを気にする必要がないので
環境的にはほぼ同じ状況で再生できますからね。
まぁそれでも音量やらアンプとの特性やらの問題はありますし
必ずしも正しく評価できてるかは分かりませんけど。

ただ、基本的に比喩の世界ではあるでしょうけど
その比喩から感じるものは人によって全然違うでしょうし
これは用語においても同様の問題ですけど
もう少し感性を共有できる術がないのかなぁ、とは思います。
そのために多くの人がレビュー書いたり
こういった言葉遊び(笑)をたまにやったりするのも
悪いことではないと思っています。



>こういった場合の説得力や感銘というのは,得てして何か突き詰めた良さみたいなものがあり,自分の選択のなかからは出てこない新鮮さと驚き,そして感心といったことから得られるものだとおもいます。

確かにスポーツで、優秀な選手のプレーに感銘を受けたり
奇抜で遊び心あふれるファッションに衝撃を受けたり
こういった感動を言葉にしようとしてもうまく伝えられずに
最終的には、カッコいいとしか言いようがなくなります。
オーディオの場合は言葉にできないものを性能と片付けるのですかね。
自分で使ってて言うのもなんですが
なんだか陳腐な言葉に成り下がってしまいますね。
とはいえ、ブログに書いていた時点でも、今現在でも
うまく言い表す言葉が見つからないです。
文章ならえるえむさんのおっしゃってることで問題ないとは思うのですが・・・・・・



>主観と客観という対義語しかご存じない方もいらっしゃるでしょうから,これをもって驕っているとするのはやや早計かとおもいます。

過激な言葉や表現を使いたいという心理状態だったもので、違う書き方をした方が、
自分の意図を伝えるのにも役立ったのではないかと反省しております。


>要するに,聴こえてきた音をそのまま言葉に置き換えてみようと努力すると宣言する意図ではないでしょうか。

一般に客観的という言葉を使ってる人は
自分以外の人ならどう感じるのか、ということを予想して
それを客観的と言っている気が自分はしていました。
えるえむさんの解釈の客観性は普遍性を内包していると思われますが
単なる予想を客観性といってるような人もいるのではないかと感じました。



こう言うと元も子もないのですが
形式的にへりくだることも客観性うんぬんの話も
もっともらしいことを書こうとしたものの
要は自分の好みに合わないというだけなんですよね。
そんな内容の文章にここまでツッコミを入れていただき感謝です。
おかげで解釈の仕方を深めることが少しはできたかと思います。

言葉ってホントに難しいです。
説明が付いてるはずの文章でもそうなのに
単語・用語のたぐいになると、一人一人、全然違う解釈の時もありますからね。
解釈を完全に収斂化させることは不可能ですが、多少はしないと伝えにくい。
だけど多様性がないと表現が似方よって陳腐になってしまってつまらない。
さてさて、どうしたものか・・・・・・と考えることも楽しいのです。

まだまだオーディオ的にも思考的にも及ばないブログではありませすが
今後ともよろしくお願いします。
by セラミック (2009-07-29 10:57) 

えるえむ

お返事ありがとうございます^^
勉強だなんてお恥ずかしいです。突っ込みどころがあればいつでもお願い致します(笑)。

>もう少し感性を共有できる術がないのかなぁ、とは思います。

そうですね。一つの方法は,相互訪問して(ヘッドホンやイヤホンなら持ち寄って?)お互いが目指す音作りを確認しながら,普段その人言葉で表現していることとすりあわせをしたり,オーディオ用語の意味内容をお酒でも飲みながら語り合うのが手っ取り早いように思います。

たとえば,高域,中域,低域といっても,具体的に何Hzくらいで切り分けるのかは各人で違うのが普通です。イコライジングを普段から行っている方はこのあたり収斂されていきますが,それは感覚的に身につけたと言うより学習して身につけたものだからですね。


>オーディオの場合は言葉にできないものを性能と片付けるのですかね。

多くの経験をすればするほど,自分のシステムの音に完全に満足している方というのはそう多くはないと思います。
ただ,皆さんシステムの方向性を決める上で重要度にはランク付けがあると思います。
定位をしっかり出したい,音場を広くしたい,違和感のない音色にしたい,気持ちいい低音を響かせたい,等々。
「好みではないが良い製品だ」という表現は,自分が(最も)重視する点での評価は低めだが,他の評価項目では十分である(もしくは特筆すべき良さがある)という場合に使われるように思います。
このような表現は,自分の嗜好が主観的であることに自覚的な方が使われることが多いのではないでしょうか。


>一般に客観的という言葉を使ってる人は
>自分以外の人ならどう感じるのか、ということを予想して
>それを客観的と言っている気が自分はしていました。

厳密には,自分以外の人がどう感じるのかということを念頭にした場合でも客観性が高まるわけではなく,第三者性(間主観性)が高まるわけです。主観をもった人間同士がいくら集まっても,主観の集合体でしかありません。芸術を通じて音質を評価するのですから,なおのことです。
ただ,一般に,できるだけ客観的に述べたいという場合には,自分の嗜好が偏っていることを自覚した上で,自分の感覚をその人が思う平均的な人間像に当てはめなおして,その結果を述べるつもりだということではないかと思います。
たとえば,聴感上F特的にフラットだと思っているヘッドホンをオーディオ仲間何人かに聴かせたら,皆これはドンシャリでしょ~という反応が返ってきたような場合,以後のレビューは自分はドンシャリをフラットと感じているのかもしれないというフィードバックが得られるわけですから,これを元に平均的人間を想定することになるでしょう。


まぁ,文章によるコミュニケーションで少ないワード数でその人の意図をきちんと把握するのは難しいです(涙)。
でも,その人の悩みをなるべくくみ取って,より本人の理想型に近づくお手伝いができるのであれば,とても嬉しいことだとおもいます。そのためには,オーディオ用語の意味内容について意見を交わすことがとても重要です。
私が感覚を言語化することに興味があるのは,オーディオ仲間の方に喜んでいただきたいという側面も大いにありますが,セラミックさんはいかがですか?
by えるえむ (2009-07-29 19:26) 

セラミック

はい、突っ込みなど出来るかは分かりませんが
疑問に思ったことやご意見を伺いたいときは、失礼させていただきます!!


>相互訪問して(ヘッドホンやイヤホンなら持ち寄って?)お互いが目指す音作りを確認しながら,普段その人言葉で表現していることとすりあわせをしたり

オフ会ってやつですか。そういえばヘッドホン愛用者ではあまり聞きませんね。
ポータブルヘッドホンアンプが好きな人たちは結構やってるようですが
目指す音作りとか用語の意味などについて語ることはしているのやら・・・・・
ヘッドホンの場合、アンプも含めて使い分けが好きな人も多く
決まった方向性で音作りしている人が少ないのかもしれません。
まぁ、それでも語り合うことはいくらでもありそうですけどね。


>「好みではないが良い製品だ」という表現は,自分が(最も)重視する点での評価は低めだが,他の評価項目では十分である(もしくは特筆すべき良さがある)という場合に使われるように思います。

確かにその通りではあると思うのですが
評価項目というものが人それぞれで、重視する点も同様であるので
良い製品である、ということをどこまで伝えられるかは結局難しい気がします。
世間で評価されている機種をそういった表現で表せば
それこそ社会的な軋轢が生まれないような発言に感じられてしまいます。
そこで評価項目を定めていこうとしたら、今度は言葉の解釈が・・・・・・と
堂々巡りになってしまいます(笑)
ただ、そうやって巡りながらでも互いの認識を深めていくことで
きっと見えてくるものもあるのでしょうね。


>主観をもった人間同士がいくら集まっても,主観の集合体でしかありません。ただ,一般に,できるだけ客観的に述べたいという場合には,自分の嗜好が偏っていることを自覚した上で,自分の感覚をその人が思う平均的な人間像に当てはめなおして,その結果を述べるつもりだということではないかと思います。

はい、その通りだと思います。
平均化というものは人間もそうですが、機器の評価についても
経験から考えることが大切という点で通じるものがありますね。
レビューを書こうと思う時点で機器の平均化は何となく意識しても
人間(自分)の平均化というものは、なかなか難しいです。
例え意識してもそこに至るに必要なものがないかもしれません。
実際のところ自分はなかったでしょうね。今現在もないでしょう。
まぁ、それでよくもレビュー書いたり偉そうにしゃべったりしてるもんです(苦笑
だからと言ってやめる気が起きるわけでもないので、懲りない男ですが。


なんとなくですが、会話することが大切であるというような感じを受けます。
使い古されている一般論ではありますが、逆にだからこそ必要なのでしょうね。
それでも個人的には文章によるコミュニケーションが好きだったりもします(汗
頭の回転がさして早いわけでもないので
じっくりと考えないと、うまく意図を伝えることができないのです。


>私が感覚を言語化することに興味があるのは,オーディオ仲間の方に喜んでいただきたいという側面も大いにありますが,セラミックさんはいかがですか?

僕はかなり自分よりな考え方で恐縮なのですが
まず第一に、より良いレビューを書くこと、そのことを通じて
より多くの人に自分の感じたことと似たことを感じてほしい、というものです。
これは逆に僕の方も、他の方の書いたレビューからでも
その方の感じたことを容易に感じれるようになりたい、ということでもあります。
もちろん実際に聞く時の感動や雰囲気を言葉にすることはできませんが
ほんの少しでもその手助けができれば良いな
という自己満足と他者貢献が合わさったようなものです。
そしてもう一つは本当に自分よりな話ですが
言葉にすることや伝えることが難しいことを
できるだけ見やすく、分かりやすく表現する努力を重ねることで
レポートやプレゼンのスキル向上ができればなぁ、というものです(大汗
by セラミック (2009-07-29 21:03) 

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